心が苦しいなら職場を変えるのもあり!

暮らし

今まで私は3度、転職してきました。

心が苦しくなった時や置かれている状況が悪くなった時、その都度、転職をしました。

もし、あなたの今の状況が精神的にも、立場的にも苦しいのなら、転職を考えるのもありだと思います!

 

無理を続けて、精神や身体が病気になってしまうのは避けたいです。(>_<)

私は精神的に参ってしまった経緯があるので、そう感じます。

 

今回は、私がうつ病と付き合いながら、又、うつ病卒業したけど心が不安定な状態で今まで、何とか仕事を続けられている経緯をお伝えしたいと思います。

 

広告 

最初の就職先

最初の就職に関しては以前の記事で詳細を述べていますので、合わせて読んで頂けると幸いです。

うつ病が治るきっかけをくれた本との出会い!
私は2000年1月(24歳の時)にうつ病が発症し、病院に行ったその日に入院となりました。それから段々と症状が軽くなり、ありがたいことに2002年12月にはお薬も内服することなくうつ病を卒業できました。その後20年間、精神的に不安定になること...

最初の就職先は、1999年4月にプログラマーとして就職しました。

その当時は、ワードとエクセルがかろうじで出来るレベルでした。

 

パソコンでプログラムを作成する、というのは全く知らずに就職しました。

 

何故、経験も学びもないのにプログラマーになったのか?

 

プログラマーとして就職する同級生が多かったからです。

その流れで就職してしまいました。

また、時代もちょうどプログラム開発を求めている求人が多くありました。

 

就職はしたものの、ついていけず、2000年1月にはうつ病と診断され病院に入院となってしまいました。

その後、退院して仕事に復帰したものの、その時の私にはレベルが高すぎて辛い状況が続きました。

結局、2000年12月には、退職となりました。

 

在職期間 1999年4月~2000年12月 【1年8ヶ月】

 

広告 

1回目の転職

2001年1月~3月までの間は家で心と体の静養に当てました。

2001年4月にスイミングコーチとして転職しました。

 

学生時代にスイミングコーチのバイトの経験もあることから、プログラマーよりは役に立てるのではと思い、プールの仕事を転職先に選びました。

最初は、心もリフレッシュしていることもあり、楽しく指導させて頂きました。

 

しかし、就職となるとバイト時代のような水泳の指導だけではなく、他の業務も増えます。

  • イベントの計画立案、諸々の準備・段取り
  • 春休み、夏休み、冬休みに行う短期水泳教室の準備・段取り

 

今までは、サポートメンバーとして、イベントをサポートする、短期教室も自分のクラスのみ指導するだけでしたので、一挙にプレッシャーとなってしまいました。

全体を動かす、統括するというのに慣れてない上、その当時は、まだ、うつ病と付き合いながらの仕事でしたたので段々心がつらくなっていきました。

 

また、子供のクラスだけではなく、成人クラスの水泳指導も担当しました。

子供の指導は、泳ぎ方の手本を見せたり、動きを補助することで泳げるようになります。

 

しかし、成人クラスでは、泳ぎに関して理論で教えていく必要があります。

まず、頭で理解してから、次に理解したことイメージしながら体で動きを再現していくというのが大人を指導する流れとなります。

 

その当時の私には、そこまで説明が上手くにできず、なかなか泳ぎを上達させてあげることができず、自信を失っていきました。(>_<)

最終的には、1年間働いて、2002年3月には退職しました。

 

在職期間 2001年4月~2002年3月 【1年】

 

広告 

2回目の転職

1カ月間、心の静養に当てました。

次は、心の負担が少ない仕事を選ぼうと考えました。

 

2002年5月より、プールの監視員としてバイトから始めることにしました。

50mのプールと25mのプールがある大きい施設だったので、監視員の人数が多く人と接するのは、少し心の負担でした。

しかし、泳げることもあり監視員としての仕事に関しては、心の負担は小さくなりました。

 

2002年7月~8月は、会社の指示で屋外の小さいプールでの監視することとなりました。

開放的で、噴水もあり特に事故も起こることなくのどかに時間が過ぎて行きました。

太陽を浴びながらの仕事は、私の心と体に元気を与えてくれました。(*^▽^*)

 

その頃から、心がうつ病卒業に向かっていきました。

薬も内服することなく日々の生活が成り立つようになっていきました。

 

秋には、また、屋内のプールに戻り監視員の仕事をしました。

2003年1月に正職員として働き始めました。

正職員となると仕事量とアルバイトをまとめるという仕事に変わってきます。

心の負担とはなりましたが、同じ正職員に助けてもらいながら何とかこなしていました。

 

2003年秋に、今までいた上司が退職となり、新しい上司がやってきました。

新しい上司が態度が威圧的で大声を出して威嚇するような人でした。

 

その時、私にとってそういう性格な人は苦手なんだな、と感じました。

幸い、その上司の仕事の仕方や指導方法が本社に伝わり、違う現場へ移動となりました。

心が壊れる前に移動となったので、助かりました。

 

2008年4月より受け持つ現場が変わりました。

今度は、プールだけでなく、フィットネススタジオ、浴室、児童館を含む総合施設での現場となりました。

 

事務所の担当となりました。

事務所の仕事では、経理関係とアルバイト管理がメインでした。

 

また、その頃から毎年、売上と利益を上げるよう本社からの指示が来るようになりました。

最初は、新規の施設なので、右肩上がりで売上と利益が伸びていきました。

 

5年が過ぎていくと段々、その伸びも小さくなっていきました。

それでも、本社からの売上と利益アップの指示は強くなっていきました。

 

その当時の上司は、売上や利益アップの勢いがある時は穏やかでしたが、売上や利益の伸びが少なくなってくると、責任転嫁や態度が高圧的になっていきました。

 

私は、どちらかというとのんびり穏やかな性格なので、心が苦しくなっていきました。(>_<)

 

売上や利益アップの厳しいノルマや上司の態度に、どうにも耐えられなくなり、心が壊れる前に、退職をしようと考えるようになりました。

そして、2014年3月に退職となりました。

 

在職期間 2002年5月~2014年3月 【11年10ヶ月】

 

広告 

3回目の転職

私の性格を分析するとノルマがある職場では、心がつらくなってしまうと分かりました。

 

2014年4月から次の職場として介護の仕事を選びました。

介護の仕事の基本は、食事、排泄、入浴がメインとなります。

 

そこに、ご利用者さんのお部屋を含む清掃やご利用者さんが生活を楽しんで頂くよう定期的にイベントがあります。

 

また、出勤時間は、

  • 7:00~16:00
  • 10:30~19:30
  • 13:00~22:00
  • 22:00~7:00

の4つのパターンをチームで振り分けて働いていきます。

時間によっては、忙しい時間もありますが、ノルマがなくなった分、心が少し楽になりました。

 

2019年4月からリーダーとなり、業務量が増えました。

 

人を管理する仕事は慣れない上、上司から受けた指示を部下へ伝達、部下からの提案が良い案ならチームに浸透させる等、一筋縄ではいかない仕事も行うようになりました。

 

今も、課題を抱えながら何とか仕事をこなしています。

心が不安定になったら、リフレッシュするよう心がけています。

 

広告 

まとめ

私は、仕事に行きつまったり、心を壊すこと、壊れそうになることで転職してきました。

そして、転職するたびに、自分の苦手な分野や苦手な性格の人を理解していきました。

 

就職したころは、一つの職場で定年まで働かないとダメな人間だ、と勝手に決め込んでいた部分がありました。

しかし、転職することで、心が軽くなることができました。

また、より自分というものを深く知ることができました。

自分の考えや価値観も徐々に定まるようになっていきました。

 

もし、今の職場が自分にとって苦しい環境だとしたら、心を軽くする為にも転職するのはありだと思います。

 

今回の内容が少しでもお役に立てていただけたら『しあわせ!』です♪

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。(*^▽^*)

コメント

タイトルとURLをコピーしました